『訓練校時代〜食堂にて』

 食堂は賑やかだった。見回してみても、空いているテーブルはなかなかない。席自体は空きが見られるのだが、それでは意味がないのだ。
 訓練施設『至極シゴク』は、天界に置かれた、天界系列組織だ。しかしその施設はいかにもな学校であり、それ以外の何物でもない。専門的なことを学ぶ科がいくつもあり、同じ内容を学ぶ者が集められたクラスがある。さらにその中で成績によるグループ分けがなされ、『校内』では基本的にそのグループ単位で行動することになっている。
 そう、食事時のテーブルも一緒、なのである。そのため、全員が同じテーブルにつかなければならない。いくら馬鹿らしいと思ってもだ。

 班員の一人がようやく空きを見つけた時には、昼休憩の時間の三分の一ほどが過ぎていた。席の確保をしつつ、交替で飯を取りに行き、食べ始めるころにはもう残り時間は半分だった。
「ちょ、おま、またラーメンかぁ。飽きないのー?」
「間に合わなかったら連帯責任なんだかんな?!」
「うるせぇ! てめぇらこそ、さっさと食っちまえよ」
 班員は五名。何の肉だかわからないが、とにかく山盛りの焼いた肉のやつ。定食風のセットにしてるやつに、生肉と謎の缶のやつ。それぞれが好きな物を選んで、てんでばらばらに食べる様はまとまりのなさを感じさせるが、意外にも仲は悪くない。腐ってもグループ、まがりなりにも共同体。そんなところなのだろう。
「次の教官誰だっけぇ?」
「ミッチー」
「思い出させんなよ! おれぁミッチーの授業が一番イヤなんだよ」
「ミヅチは脳筋だかんなー!」
「っせぇ! たろだってそうだろうが!」
「……食べる手が止まっていますよ」
 食事時の話題といえば、もっぱら授業のこと。学生らしいと言えばそうだが、ミヅチが生前通っていたような学校とは違い、異性についての話が出た覚えはとんとない。『至極』には雌雄男女がいるにも関わらず、だ。異性に興味がないというわけではないのだろう。それ以上に、この訓練施設で好成績を修めるということに興味があるというだけで。実際、漏れ聞こえる他班ではそのテの話題が上っている。
「——に、しても」
 山のようにあった肉をあらかた片付けてしまった大柄の班員が、行儀悪く椅子にもたれながら、次の話題へ移行させた。
「教官、強すぎだろ。まさに『鬼ツヨ』ってヤツ?」
「笑えないよそれぇ」
「とか言いつつ、笑ってるっつーね?」
 笑い声があがる。和気あいあいとした昼食の時間である。
「ミヅチは特にすごいよね」
「ほン?」
 ちょうど麺をすすり上げていた話題の主は、自分の名前に反応して顔を上げた。口の中の物を咀嚼し、ごくんんと飲み込んでから口を開く。
「そうかぁ?」
 褒められたことに気を良くするでも変に卑屈になるでもなく、疑問符を正しく働かせ、でもと続けた時の目はきらきらと光っていた。
「あの教官とやるの、面白くねぇ?」
 避けそこなったら大怪我ですまなさそうな唸りをあげて迫る拳や脚を紙一重ででも何でも躱し、そこからどうにかして反撃をするという、言うだけなら非常に簡単な課題だが、実際にやってみると簡単とはほど遠い。生きている、いや呼吸をおこなう生物であるならその呼吸の合間を狙うというのがセオリーとなるのだろうが、その合間というものを教官との試合中に見つけられない。なので現状、ミヅチも教官との試合においてはまだまだ避けるのが精いっぱいで、反撃のはの字にも到達出来ていない。
 だからこそ、面白い。考えてから動くのでは遅すぎる。考える前に体を動かすことで感覚を研いでいく。様々のパターンを体で覚え、相手のちょっとした動きで次の手を読んで制す。頭を使わなくてすむのでこの授業は向いていると、ミヅチは自分で思っていた。……本当は相当に頭を使うのだが、そうと意識しなければ苦手意識にはならないという見本である。
 さておきそんなわけで、ミヅチがあの授業で得るものはそのような格闘技術であり、既に一度死んだ身であるということすら忘れてしまえるほどの高揚感と緊張感、そして強くなれるという単純で純粋な喜びと楽しさであった。
 班員達は顔を見合わせて、やれやれと首を振った。
「それ、ミヅチだから言えるんだよな」
「うんうん。そりゃ、楽しいか楽しくないかで言ったら楽しいけどさ」
「そうなんだ? 自分はあの授業ニガテだな」
 わいわいと食堂の賑やかさの一助となりながら、彼らは先の授業の反省と感想を挙げていく。
「教官もだけど、ミヅチともやりたくないかな」
「確かに! ミヅチも結構ヤラシー攻撃入れてくるよな!」
「そうなんだよねぇ。そこで蹴り入るぅ!? みたいな」
「自分は素早く動くのがどうしても出来ないから、追いつかないんだよね」
「そうは言うけどよ、ガンはすっげぇ防御がうめぇじゃねぇか」
 内容は型の話にまで及ぶに至り、あぁでもないこうでもないと会話は弾んでいたが、
「それで」
 それまであまり会話に加わらず静かに食事をしていた班員の一言に、びしっと固まることになった。
「次の授業には遅れずに行けるのでしょうね?」
 まだ随分残っている方もいるようですがという言葉と共にきろりと軽くねめつけられる。揃って首をすくめた彼らは、勢いよくそれぞれの昼食を再開した。
「ごめぇん。すぐ片付けるからさー」
「ミッチー怒らせたくねぇかんな!」
 肉の山はあっという間に消え、定食組は汁物に飯をぶち込んで効率よく食事を進めていく。
「それにしても意外だったのは」
 食べながらも会話が続くのは仲が良いからなのだろうし、本妖ほんにんも悪気はなかったのだろうが、この時は話題が悪かった。
「カガチとミヅチの対戦は見たいと思ってたけれど——」
 やめておけよと肘でどつかれる前にカガチの真っ赤な目がガンに向けられる。決して睨んだわけではないのだが、真正面からの穏やかな視線が逆に恐怖を誘い、ガンの言葉はそこで止まった。
「『けれど』、なんですか?」
「い、いや……なんでもない」
「そうですか」
 空気を凍らせながらも大人しく引き下がったかに見えたカガチだったが、その次の行動には誰もが目を瞠った。
「エェー!!!!!!??????」
 声を発したのは一人だけだったが、それは単に驚きのあまり声が出なかっただけであり、皆の心境は等しく同じであった。
「ンの……バカガチ!」
 その中で比較的早く立ち直ったのはミヅチであった。いや、驚きの放心から立ち直ったというのは正しくないだろう。彼は被害者だったのだから。
「オメェ、さっきの組手で負けたこと根に持ってやがるな?!」
 ばんと箸を置いたミヅチは隣に座るカガチに掴みかかる。額には筋が浮き、唾を飛ばさんばかりに抗議した。
「はい?」
 対するカガチはつんとすまし顔で、ミヅチの抗議を意に介していない。
「何を根拠にそんなことを言うのですか? 全くの言いがかりです」
 淡々と答えはするものの自ら犯行については飽くまでしらばっくれるカガチに、ミヅチは言い募った。何も悪いことなどしていませんと言いたげなツラがまことにもって小憎らしかった。
「じゃあどうして、おれが最後に食おうと思って取っておいた煮卵食っちまったんだよ!」
 ミヅチの前にあるラーメンの丼、そこにさっきまで確かにあった煮卵が目の前で横取りされてしまったのだ。そう、本当に単語通りに横から!
 残されたのは少なくなった麺とスープ。他の具材もほとんどその姿を消し、わずかな野菜のきれっぱしが寂しく浮いているだけだ。楽しみにしていた、味の染みた愛しの煮卵ちゃんはもう……。
「嫌がらせに決まっているでしょう」
「オメェよぉぉぉぉぉ!!」

 わからなかったんですかと嫌味の調味料をばっちり振りかけられては、さすがのミヅチも腹を立てずにいられなかった。しかしがくがくとカガチをいくら揺さぶっても、丸呑みにされた煮卵は返ってこない。
「せっかく片づけるのを手伝ってあげたのに、まだ食べ終わらないとは……遅刻は連帯責任。わかっていますよね?」
 面倒くさそうに掴まれている襟を取り戻し、自分の食器を持って先に席を立つカガチを見上げ、ミヅチはラーメンの汁一滴まで残さず胃に流し込んでからがたっと立ち上がる。
「そンっくらいわかってるわ! 次の授業、絶対ぜってぇ負かすからな!」
「次は座学ですが、そうですか。楽しみですね」
 言い合いを続けながら食器を片付けに行く姿を見送る三人は顔を見合わせ、誰からともなく笑い出した。